2005年 08月 31日
清元 と シャンソン |
歌、クラシックであれ現代のものであれ、今までに心の芯の芯まで揺さぶられ、情感すべて
を歌い手に預けて聞いた歌手は今までに、二人。
清元の延寿太夫の語り と 歌手、大地 緑のシャンソン。
一番最近では、平成17年2月歌舞伎公演、雁治郎による清元「隅田川」。何度も見たことのある舞踊劇であるが、この時の雁治郎の舞は、内に内に感情を押さえ込み、見る者を、内面から亡き子を偲ぶ母の哀しみに誘うものであった。その演技を引き出したのは、まさに地方衆(じかたしゅう)の熱演であった。延寿太夫の高音の切ない声。こころを揺さぶる唄というのは、こういうのを云うのだろう。自然と涙がこぼれた。
シャンソン歌手大地 緑のライブを初めて聞いたとき、正直、私は戸惑った。涙こそ出さなかったが、内でよよと泣いた。心が動いた。せつなかった。彼女の唄を聞き終わったとき、一冊の本を読み終えた感動に近いものがあった。「唄」ってこういうものだったのだという気づきが嬉しかった。
それにしても、それまで私が聴いてきた多くのプロ歌手による唄はなんだったのか?
を歌い手に預けて聞いた歌手は今までに、二人。
清元の延寿太夫の語り と 歌手、大地 緑のシャンソン。
一番最近では、平成17年2月歌舞伎公演、雁治郎による清元「隅田川」。何度も見たことのある舞踊劇であるが、この時の雁治郎の舞は、内に内に感情を押さえ込み、見る者を、内面から亡き子を偲ぶ母の哀しみに誘うものであった。その演技を引き出したのは、まさに地方衆(じかたしゅう)の熱演であった。延寿太夫の高音の切ない声。こころを揺さぶる唄というのは、こういうのを云うのだろう。自然と涙がこぼれた。
シャンソン歌手大地 緑のライブを初めて聞いたとき、正直、私は戸惑った。涙こそ出さなかったが、内でよよと泣いた。心が動いた。せつなかった。彼女の唄を聞き終わったとき、一冊の本を読み終えた感動に近いものがあった。「唄」ってこういうものだったのだという気づきが嬉しかった。
それにしても、それまで私が聴いてきた多くのプロ歌手による唄はなんだったのか?
by sidediscussion
| 2005-08-31 22:55
| 文学
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