2007年 11月 12日
教会の鐘の音 |
週末訪れたGynesiasの村で。 宿のお宅は丘の上でした。 公道から、その丘の道に続く入り口に美しい教会と墓地があります。 中の様子がよく見える明るい景色でした。
車が何台かとめられていて、人々の気配がありました。 敷地内の小さい建物の前に華やかな花輪がいろいろ飾られていて、すぐに葬儀だなと分かりました。
帰りに二度目に前を通ったときに、棺が運び出されるのを見てしまいました。 小さい、小さい棺でした。 哀しい風景でした。
そして、教会の鐘が打ち鳴らされていました。 小説や歌の中で、mourning bellの響きに出会ってはいましたが、現実の弔いの鐘の音を聴いたのは初めてです。
家族でしょうか、喪服数人の人々が付き添って、墓地のほうに。
東京では、イグナチオ教会の鐘が時々風の向きで遠くに聞こえます。こちらに来てからも教会の鐘は何度も耳にしています。
こんな場面に出会い、打ち鳴らされる弔いの鐘を聴いてはじめて気づいたのですが。
人は、教会の鐘の音を聞くたびに、逝ってしまった人を偲ぶのでしょう。
車が何台かとめられていて、人々の気配がありました。 敷地内の小さい建物の前に華やかな花輪がいろいろ飾られていて、すぐに葬儀だなと分かりました。
帰りに二度目に前を通ったときに、棺が運び出されるのを見てしまいました。 小さい、小さい棺でした。 哀しい風景でした。
そして、教会の鐘が打ち鳴らされていました。 小説や歌の中で、mourning bellの響きに出会ってはいましたが、現実の弔いの鐘の音を聴いたのは初めてです。
家族でしょうか、喪服数人の人々が付き添って、墓地のほうに。
東京では、イグナチオ教会の鐘が時々風の向きで遠くに聞こえます。こちらに来てからも教会の鐘は何度も耳にしています。
こんな場面に出会い、打ち鳴らされる弔いの鐘を聴いてはじめて気づいたのですが。
人は、教会の鐘の音を聞くたびに、逝ってしまった人を偲ぶのでしょう。
by Sidediscussion
| 2007-11-12 14:59
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Comments(4)
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ヤング
at 2007-11-12 17:10
x
Wから降りてくると右側にある教会でしょうか、それなら記憶にあります。
Steveおじさんの口癖のひとつに「Veszpremの名物は風と鐘だ」というのがあるくらいでこの街でも鐘はよく打ち鳴らされています。でもそれは時刻を知らせる鐘で、貴女が聞いたような悲しいものではもちろんありません。幼くして去った命への弔鐘はできれば聞きたくなかったことでしょうね。
Steveおじさんの口癖のひとつに「Veszpremの名物は風と鐘だ」というのがあるくらいでこの街でも鐘はよく打ち鳴らされています。でもそれは時刻を知らせる鐘で、貴女が聞いたような悲しいものではもちろんありません。幼くして去った命への弔鐘はできれば聞きたくなかったことでしょうね。
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Sidediscussion at 2007-11-12 17:59
時を村人に知らせる鐘も、悲しみを知ったひとのこころには、弔いの鐘をふと思い出し、喪失の悲しみが蘇ってくるのではないかと思うのです。わたしにには、そういう想像がいままで出来なかった。
よくは知らないのですが、時を知らせる鐘と、弔いの鐘では、打ち鳴らし方が当然ちがうのではないかとも思いました。
この国に来て、よく父母のことを思い出します。 藁葺き屋根を見ても、父が好きだったなぁとか、母がこの風景を見たらどんな言葉を出すだろうとか。 だんだん、そういう年齢に近づいて、何の中にも、はかなくなっていく自分の命を投影しているのかも知れません。(私も内面ではこういう暗い部分があるのです)
よくは知らないのですが、時を知らせる鐘と、弔いの鐘では、打ち鳴らし方が当然ちがうのではないかとも思いました。
この国に来て、よく父母のことを思い出します。 藁葺き屋根を見ても、父が好きだったなぁとか、母がこの風景を見たらどんな言葉を出すだろうとか。 だんだん、そういう年齢に近づいて、何の中にも、はかなくなっていく自分の命を投影しているのかも知れません。(私も内面ではこういう暗い部分があるのです)
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hisako-baaba at 2007-11-12 21:42
小さな棺は涙を誘いますね。
美しい丘の中腹に葬られて、家族から忘れ去られる事は決して無いのでしょうね。
誰ひとり避けることの出来ない死は、新たな出発なのかもしれません。
後のことは分からないけど、その日まで一生懸命生きたいものですね。
どんな風にそれを迎えるか、少々気にかかる年齢になりました。
美しい丘の中腹に葬られて、家族から忘れ去られる事は決して無いのでしょうね。
誰ひとり避けることの出来ない死は、新たな出発なのかもしれません。
後のことは分からないけど、その日まで一生懸命生きたいものですね。
どんな風にそれを迎えるか、少々気にかかる年齢になりました。
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Sidediscussion at 2007-11-13 03:04
hisako-様
ほんとうに、哀しい光景をみてしまいました。
いずれくる死ですが、順番は守りたいなぁと思います。 ほんとうに明日のことが分からない年齢になりました。といいながらも、明日が、その次の日がずっと続くような錯覚があって、今日安穏としていられるのかもと感じています。
ほんとうに、哀しい光景をみてしまいました。
いずれくる死ですが、順番は守りたいなぁと思います。 ほんとうに明日のことが分からない年齢になりました。といいながらも、明日が、その次の日がずっと続くような錯覚があって、今日安穏としていられるのかもと感じています。